ご挨拶

 平成15年8月で長年勤務した埼玉医科大学を辞し、両親が昭和38年に開設したここ飯高医院に勤務しております。飯高医院は、1922年(大正11年)に祖母が浅草で開業したのがはじまりとのことです。祖母は、未だ女医が少なかった頃、東京女子医科大学の創始者である吉岡弥生先生に師事し、苦学の末に医師免許を取得しました。吉岡弥生書の額が掛けてあったのですが、幼かった我々兄弟はチャンバラごっこでこの大切な書を傷つけてしまいました。祖母が亡くなってから初めて、その価値を認識した次第です。祖母は、東京府(確か”府”と書いてあったように記憶しております)から表彰されたようで、勲章や金杯を見せて貰ったこともあります。戦後千葉に疎開しておりましたが、両親が現在の地に飯高医院を開設して今年で41年になります。以上のような経緯を経て、私が飯高医院の3代目になります。

 私は、昭和54年研修医2年目で埼玉医科大学に派遣されました。埼玉医科大学は、新設医科大学で、赴任当時は2期生が卒業したばかりの若い医科大学で、皆やる気満々でした。埼玉医科大学では、内分泌代謝学というホルモンの働きや体の代謝を調節する機構に関する学問を専攻しました。病気としては、バセドウ病などの内分泌疾患や糖尿病、高脂血症、高血圧、骨粗鬆症などの代謝疾患・生活習慣病の患者さんを数多く診療してまいりました。また、表参道の伊藤病院でも週に一度ですが、多くの甲状腺疾患の患者さんを診察させていただいております。

 その間、医学の教科書や参考書の執筆を分担させていただいたり、100以上の原著論文を発表してまいりました。「医療はサービス業だ」とよく言われますが、何か勘違いしている人が多いように感じます。このサービスとは、リップサービスではありません。医師は、専門的知識、技術を売り物にしているので、それを磨いて初めて納得ができる医療サービス、すなわち正確な診断治療を提供できる、ということです。幸い、多くの患者さんを診療する機会を得、医学生研修医を教育し、内科専門医の試験にも携わるなどの経験を経て、専門分野以外の疾患に対しても患者さんの疑問質問に答えられる様になったと思います。専門分野はもちろんのこと、長くこの地にある診療所として、プライマリーケアの一端を担っていくつもりでおります。

 飯高医院の方針として、よく患者さんの話を聞き、よく病気について説明するよう努める所存です。日進月歩の医学知識を更新するためにも、今後も学会活動は続けるつもりでおります。休診等でご迷惑をおかけするかも知れませんが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

平成16年4月吉日

                       飯高医院 院長
                       飯高 誠 

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